ギークハウスから始まる第二の人生
ギークハウス Advent Calendar 2016
この記事はギークハウス Advent Calendar 2016 4日目の記事です。
Advent Calendar初参戦です。
ギークハウスのAdvent Calendarということで、ギークハウス絡みのお話を。
以前、このブログ記事でも書かせていただきました。
現在もギークハウスに住み込んでいます。上の記事では「ギークハウスはいいぞ」と言っているだけでしたが、今回はギークハウスへ住むことで私の人生が大きく変わったことについて書き連ねていきます。
ギークハウスに入る前
愛知県でSES業界に従事しながら親と二人暮らししていました。 我が家には実家というのは存在しないので、私が借りているアパートに親を呼んで暮らしていました。そのため家賃・光熱費などは全て私が支払いしていました。
私は昔、親に大変迷惑を掛けたので今が恩返しのつもりで扶養していました。そのため親に仕事をさせず、家事全般をお願いしていました。
ギークハウスに入ってから
まず他人との共同生活ですが、私は全然気にならない人間でした。そもそも高校生時代から友人の家を泊まり歩いていたので、人と生活するのは全く苦ではありませんでした。むしろ人と会話できるのは好きな部類だったので大歓迎でした。
ギークハウスのコミュニティは本当に素晴らしくて、私はギークなんておこがましい一般人ですがそれでも受け入れてくれました。自分が滞在しているギークハウスのコミュニティはもちろん、他のギークハウスへ遊びに行くこともできて非常に刺激的でした。
最初はニートを満喫
当初の目的は東京のイベントに参加することだったので、最初の一ヶ月は色々なイベントに参加しました。引っ込み思案の性格のため、登壇や質問などは全然できなかったのですが「どうせ今後会うこともないだろうし、誰も俺のことなんて覚えてやしないだろう」と割り切って質問をするようになりました。
ギークハウスあるあるだと思いますが、撮り溜めていたアニメを見るようになりました。アニメは今までそんなに見ていなかったのですが、一人で見たりギークハウスの住人と見たりしていました。
平日はランチもあるし仕事の休憩時間にも縛られないし、むしろ土日が不要でした。そのため、活動するのは平日に活動し、土日は大規模なITイベントが無ければ休養していました。当時のニート生活は大変忙しかったのです。
また、今までは仕事が趣味でした。それがいかに働かずして生きていけるかへ考え方が変わりました。
なお、ニートは最強です。就職した今でもその思いは揺らぎません。
ウニを食べに平日を利用して北海道へ
ウニの旬は7月。意外なことに夏なのです。ニートである今行かなくていつ行くのだと。
正に仕事していたら実現できなかったであろう、平日出発・平日帰宅の北海道旅行をしてきました。ギークハウスの住人と行きましたが、最初はヒッチハイクで北海道まで行こうと計画していました。が、時間は有限である、ということとギークハウスの先輩が以前実行して東北地方で大変苦労したと話を聞いてヘタレました。
旬のバフンウニとムラサキウニは控え目に言って最高でした。北海道のウニは他地域のウニとは全く違いますので、ウニの臭みやエグ味が苦手な人は是非北海道のいいお店で本物のウニを食べてみてください。他地域でもとれたて新鮮なウニをいただいたことがありますが、北海道のウニは別格です。北海道から築地へ輸送されますが、築地で食べるウニより断然美味いと思っています。
東京の会社へインターン
IT勉強会へ参加するようになり、とある企業からインターンへ誘われました。有名なベンチャー企業で、今までは業務系SEだった私としてはWeb系会社の文化や技術に触れるチャンスとして喜んでインターンさせて頂きました。
結果は業務系SEが今をときめく花形Web系エンジニアにクラスチェンジするのは高い壁であることを痛感しました。今まで培ってきた自分の経験や技術がボロボロと崩れ落ちてしまうほどでした。東京はレベルが高い。Web系会社怖い。
お仕事を頂けるようになりフリーランスとして開業
インターンで心折れていた私はしばらく仕事したくないと引きこもっていましたが、私の残貯金がそれを許してはくれませんでした。このまま行くと貯金が枯渇してします。そんな時にギークハウスコミュニティから仕事紹介の話と、以前愛知で仕事をしていた時の繋がりで仕事をもらえることになりました。
また、ギークハウス住人から節税するために個人事業主として開業することを勧められていたタイミングもあって、フリーランスとして仕事をするようになりました。
2件のクライアントからは完全リモートで仕事をさせて頂き、今までニートしていた時間を仕事へ当てるようになりました。
東京の会社に就職
フリーランスとして請けた仕事が落ち着きそうになった頃、ギークハウス住人が勤めている会社の話を聞いて非常に興味が湧いてきました。その会社へ一度遊びに行って社長と話をさせて頂いたところ私の考え方と近く、また社風が自由すぎて大変おかしな会社だなということで魅力を感じ就職に至りました。詳細は別記事(転職アドベントカレンダー)で書こうと思います。
海外で仕事
現在の職場はリモートワークも可能なため、仕事の場所を選ばないというのが魅力的でした。9月に台湾、11月には上海へPCを持って行って仕事をしました。観光はもちろんですが、色々な国で仕事ができる環境は本当に素晴らしいと思います。文化に触れることができますし、ゲストハウスに泊まれば他の国の人とも友達になれます。観光目的でなく、仕事目的で海外に飛び出すのは非常にメリットが多いと感じました。英語学習のモチベーションも上がります。
別のギークハウスに引っ越す
6月からギークハウス新丸子に滞在していましたが、住環境の良さからギークハウス元住吉に引っ越しました。ギークハウス元住吉はみんなで料理したりボード・パーティゲームが盛んなのが特徴です。今までボードゲームやパーティゲームにはほとんど触れたことが無かったのですが、すっかりハマってしまいました。
難病治療の通院
別記事で書く予定ですが、私は生まれついての持病があります。生活自体には影響は無いので放っておいたのですが、とある縁で専門治療の権威であるお医者さんに出会えました。その方曰く「治ります。新しい人生をスタートできますよ」と仰ってくださいました。奈良県まで通院しなければいけないのですが、リモートできる現在の職場のおかげで通えることになりました。
まとめ
上京・ギークハウスに引っ越して半年が経ちました。 この半年は私の中で非常に濃密な時間であり、様々な人と出会い、文化に触れ、エンジニアとして新しい道が開けました。また、諦めていた難病治療の通院も可能となりました。
- 6月 ニートとして上京。ギークハウス入居。様々なITイベントに参加
- 7月 某Web会社インターン。雲丹を食べに北海道の積丹半島へ
- 8月 ギークハウスと個人の繋がりでフリーランスとして仕事を請ける。個人事業主として開業
- 9月 現在の会社に就職する。台湾に一週間滞在しながら仕事する
- 10月 Railsエンジニアスタート。実家に滞在しながら仕事する。あちこちでノマドしながら仕事する
- 11月 別のギークハウスに引っ越す。生まれつきの持病を治療するために奈良の病院に通院する。上海に10日間滞在しながら仕事する
と怒涛の半年間でした。愛知県に滞在しながら今までと同じ仕事していたらどれも経験できなかっただろうなと思います。北海道や海外も平日を利用しているためお金がそれほど掛からないのも魅力でした。
きっかけはギークハウスでした。私の場合は稀有な例かもしれません。でも、今までと同じ暮らしではどれも実現できないことばかりでした。
私は今年で36歳になります。エンジニアとしても転換期です。ある人からはこの歳で退職し、上京してギークハウスに住むなんて正気の沙汰とは思えないとも言われました。
が、私はこれでいいのです。これが良かったのです。私のようなレールから外れた人間を受け入れてくれるコミュニティが存在したことが何より嬉しい。人生なんて一度きりの事です。どう転んでも今より変わることを楽しみたいと考えるようになりました。
ギークハウスと出会ったことで、私の人生は大きく変わろうとしています。もちろん問題は山積みです。エンジニアとして成長していかなければいけませんし、愛知に置いてきた親の扶養もしなければいけません。
このきっかけを与えてくれたギークハウスコミュニティには感謝しています。これをきっかけに、私はこれから第二の人生を歩んで行きます。
なんか重くなっちゃいましたが以上です。次はKeiichiro Fujitaさんです。よろしくお願いします。